「最初から“できない”とは思わない」。“遅咲きのスピードスター”伊東純也が描いた成長曲線

2018年10月16日

コラム
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KASHIWA, JAPAN - FEBRUARY 20:  Junya Ito of Kashiwa Reysol and Mi Haolun of Tianjin Quanjian compete for the ball during the AFC Champions League match between Kasshiwa Reysol and Tianjin Quanjian at Sankyo Frontier Kashiwa Stadium on February 20, 2018 in Kashiwa, Chiba, Japan.  (Photo by Matt Roberts/Getty Images)

マリノスJrユースのセレクションを受けるも…

 遊び感覚で磨いたドリブル技術は非凡だった。原田代表もこんなエピソードを明かす。

「小6のある時、純也ともう1人の少年を呼んで下級生にドリブルの見本を見せてもらったんです。1人は普通にイン・アウトを繰り返す教科書的なプレーをしたのに、純也の方は想像できないような素早く華麗な動きだったんで、目が点になりました。『もう1回やってくれ』と頼むと『同じことはできない』と言う。本人は感覚でやっていたんでしょう。彼のドリブルは単に速いだけじゃなくてフェイクを入れてくる。足首もヒザも柔らかいし、上体を揺らしながら動けるから、相手をかく乱できる。当時から今と同じ右サイドをやっていましたけど、そこから一気に持ち上がってチャンスを作っていましたね」当時の鴨居SCは彼らの1つ上と2つ上の学年がいなかったため、純也少年は早くから自身の武器を実戦で試すことができた。小学生は1歳違うだけでフィジカル的な差は凄まじい。コテンパンにやられて泣くこともあった。「自分は負けるのが大嫌い」と認める通り、悔しさが次への活力になっていたようだ。

 小6になると横須賀市トレセンに選ばれ、小野裕二(サガン鳥栖)とプレーする機会も得た。「彼はその時点で別格」と父・利也さんも語るほど頭抜けた存在だったが、純也少年はひそかにライバル意識を燃やしていた。その小野と一緒に横浜F・マリノスジュニアユース追浜へ進む可能性が浮上したのはそんな頃。

「プロになる」と本気で思い始めていた純也少年に願ってもないチャンスだった。3次試験までは免除され、4次試験にチャレンジ。本人は手ごたえを感じたようだ。しかし、結果は、まさかの不合格……。「ゲーム形式をやって、自分なりには結構よかったかなと思ったけど、普通にダメでした。当時の僕は身長150cmもないくらいで、並び順も前から2~3番目だった。高校生になるまではずっと小さかった。そのことも影響したかもしれません。もちろん裕二は合格した。正直、落ち込みましたけど、周りに対してはそうじゃないフリをしてました。『別に行きたくなかったけど、受けてくれって言われたから受けただけ』というくらいの強がりは言ってたんじゃないかな」

 必死に前を向く純也少年を傍らで見守りつつ、両親は「自分の人生は自分で決めればいい」と楽観的に考えていた。本人が「地元の横須賀シーガルズへ行く」と言い出した時も黙って受け止めた。「純也は発熱で学校を休んでもサッカーの練習だけは休まない子。好きなサッカーを続けて、人に迷惑をかけないように成長してくれればそれでよかった」と父・利也さんもしみじみ話す。温かい家族に囲まれ、すぐに本来の明るさを取り戻した彼は2005年春、鴨居中学校に進学。同時に横須賀シーガルズに入った。

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