「最初から“できない”とは思わない」。“遅咲きのスピードスター”伊東純也が描いた成長曲線

2018年10月16日

コラム
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森保一監督率いる新生・日本代表で頭角を現しつつある伊東純也(柏レイソル)。“プラチナ世代”と呼ばれる柴崎岳(ヘタフェ)や宇佐美貴史(デュッセルドルフ)など10代から注目を浴びてきた同年代の選手たちに比べると伊東の経歴は少し異質に見える。日本代表の未来を担う“スピードスター”はどんな成長曲線を描いてきたのだろうか。

『ジュニアサッカーを応援しよう!Vol.48』より転載

取材・文●元川悦子 写真●Getty Images


SUITA, JAPAN - SEPTEMBER 11:  Junya Ito (L) of Japan celebrates scoring a goal with team mates during the international friendly match between Japan and Costa Rica at Suita City Football Stadium on September 11, 2018 in Suita, Osaka, Japan.  (Photo by Matt Roberts/Getty Images)

サッカー漬けの日々

 伊東純也が神奈川県横須賀市で誕生したのは 93年3月。Jリーグ発足を2か月後に控え、日本中が盛り上がっていた頃だ。父・利也さん、母・由香さんにとって待望の長男。男の子の場合は由香さんが名づけ役になるという約束があり、「『純』という響きが気に入ったのと、お父さんから『也』の一字を取って『純也』にしました」と母は言う。

 2年後に次男・賢吾さん、6年後に三男・幸輝さんが誕生し、3兄弟は仲良く育った。「3人でよく遊びました。ケンカはしたことないです」と伊東本人も笑顔を見せる。「家の中にはボールがたくさんころがっていて、廊下で突然1対1が始まったりするのは日常茶飯事でした。蹴ったボールが天井や壁に当たって壁紙が剥がれたこともあったかな」と父も笑顔をのぞかせた。和気あいあいとした環境で成長した純也少年が本格的にサッカーを始めたのは小原台小学校1年の冬。同じ団地の4つ上の幼馴染みが横須賀鴨居サッカークラブ(鴨居SC)に入っていたことに加え、同級生のサッカー仲間も続々とここでプレーし始めたことから、自分も通うようになったのだ。

 85年発足の鴨居SCは谷口博之(柏レイソル)らを輩出した地域密着型クラブで、現在は90人が活動している。原田康臣代表を筆頭に指導者は基本的に父兄。高校時代に快足ウインガーとして鳴らした利也さんも純也少年の入会と同時にコーチを始め、3兄弟が卒業した今も少年たちにサッカーを教え続けている。

「親父とは家ではあまり喋らなかったけど、サッカーになると怖かった」と伊東は述懐しているが、親子のピッチ上でのコミュニケーションは密だった。「練習の中で特に強調したのは、ボールを追うことと走ること。純也には『やる気のスイッチ』があって、やるべきことをきちんとやっていない時には怒りましたね」と父も振り返る。

 原田代表も「純也はマイペースなタイプで、選手全員がベンチ前で体育座りをしながら監督の指示を聞いている時も、なぜか1人だけベンチに座ったままだったことがあった。その天然ぶりが彼のよさなんです」と笑っていた。そんなキャラクターを周囲の大人が認め、ガミガミ怒ったりしなかったのは彼にとってよかった点だ。

 母・由香さんも当時からソフトボールをやっていて、鴨居SCの練習場所の隣で自身のプレーに勤しんでいたため、過保護にすることはなかった。「子どもたちが自由に伸び伸びとやってくれればそれでよかった。純也は野菜嫌いという問題を抱えてましたけど、何でも細かく切ってハンバーグとかに入れれば食べていたので、食事の面もあまり神経質にならずに普通に対応していました」と母は何事もおおらかな気持ちで見守り続けていた。 恵まれた環境を最大限生かし、純也少年は思い切りボールと触れ合う日々を過ごした。

「鴨居SCの活動は週末だけなんで、平日は仲間や弟と一緒に学校の校庭や公園で毎日何時間もサッカーしてました。自分はドリブルばっかりしてた。ゴールするよりドリブルで相手を抜くのが一番楽しかった。僕は好きなことへの集中力がすごくて、ポケモンとかゲームも極めてました」と伊東は言う。

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