「最初から“できない”とは思わない」。“遅咲きのスピードスター”伊東純也が描いた成長曲線

2018年10月16日

コラム
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武器を研ぎ澄ませることに多くの時間を費やした

 横須賀シーガルズは石川直宏(FC東京クラブコミュニケーター)を輩出したことで知られる神奈川県の強豪クラブ。小6の冬にセレクションを受けに来た純也少年を見た徳能克也監督(現横三FC代表)は「面白い子がいるな」と直感したという。「当時の純也は150cm足らずなのに、すばしこくてスピードが光っていた。『小柄なサッカー小僧』という言葉がピッタリでしたね」

 同期約20人の中で5番手以内に入っていた伊東は、1学年上の練習や試合に参加することが多かった。ポジションは鴨居SC時代と同じ右サイド。小さいながらもスピードで持ち込むスタイルは変わらなかった。

「純也の代は中3の高円宮とクラブユースの両方で関東大会に勝ち進んでいます。クラブユースの関東2回戦では高木善朗(新潟)のいた東京ヴェルディに大敗したけど、彼が一矢報いるゴールを決めたことは印象に残っています。でも大舞台で点を取ったのはその時くらいで、当時の純也はよくシュートを外していた(苦笑)。1対1でかわすところまでは抜群なのにゴールを決められない。『また外した』『お前のせいで負けた』と周りから言われていましたね。本人はドリブルで相手をかわすことが第一だったんでしょう。得点の重要性に気づいたのは、神奈川大学に行ってからじゃないかな。大学3年で関東大学リーグ2部で得点王を取った後、本人が『やっと点の取り方が分かりました』と話していたことがありましたから」

 徳能監督の指摘は伊東も認めるところだろう。右サイドを担った小中時代、トップ下やFWにも入った逗葉高校時代ともに「自分はストライカータイプじゃなかった」と言う。

「親父の遺伝で足が速かったんで、それを生かしつつドリブルに磨きをかけてきました。高校の頃は朝から自主練し、午後練の後も仲間と1対1とかを夜8~9時までやるのが常だった。『1試合で1回もボールを取られないくらいのレベルを目指そう』『もっとチャンスを作れるようもなりたい』と思ってやってきました。今もレイソルの練習後に(中山)雄太と1対1をメッチャやってますけど、ドリブルはホント大好きですね」と彼は最大の武器を研ぎ澄ませることに10代の多くの時間を費やした。

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