冨安健洋、堂安律―― 。森保ジャパンを突き動かす20歳はいかにして育まれたのか

2019年01月31日

コラム

森保ジャパンで躍動する2人の少年時代

「浪速のメッシ」の異名を取る堂安は兵庫県尼崎市生まれ。現在、長野パルセイロに所属する次兄の(堂安)憂を含む2人の兄に影響され、3歳から地元の浦風FCでボールを蹴り始め、小4から兵庫県の強豪・西宮サッカースクール(西宮SS)に入った。
 
「当時はセレクションがなかったんですが、律はすぐにレベルの違う子だと分かり、1学年上のチームに飛び級させました。体の大きさでは劣るところはあったけど、技術やセンスは際立っていた。ボールの受け方もスムーズでトラップしてる感じがしないし、自分ならではのボールの置きどころも持っていた。キープ力もダントツでした。それに性格的にもとにかく明るい。いつも笑ってた印象しかないです」と島崎久コーチは述懐する。
 
 冨安の方は福岡市生まれ。姉2人のいる3番目で、3兄弟の末っ子という点は堂安と共通している。幼稚園の頃からサッカーに親しみ始め、小学校時代は地元の少年団である三筑キッカーズに入団。辻寛二代表は「お母さんが陸上、お父さんも野球や剣道をやっていたため、抜群の運動神経を持った少年でした。ウチではボランチがメインで、小5から1学年上のチームに入れてセンターバックでプレーさせましたけど、このレベルで収まる選手じゃないと痛感しました」と規格外の存在感を誇っていたことを明かす。
 
 兄弟の中で競い合って育ち、小学生から飛び級するほど稀有な才能を誇った2人。彼らが中学からJリーグのアカデミーに進むのは自然の成りゆきだった。2010年春、堂安は家長昭博(川崎)や宇佐美貴史(デュッセルドルフ)らを輩出した関西の雄・ガンバ大阪、冨安は鈴木惇(福岡)らを昇格させたアビスパ福岡のジュニアユースに進む。そして同年のJFA・U13エリートプログラムの活動で揃って呼ばれ、邂逅を果たすことになる。
 
 この時の指導スタッフだった木村康彦コーチ(前新潟強化部長)は当時を振り返る。
 
「2011年のエリート活動は3回あり、律は9月に石川で行った2回目、トミは12月の静岡での3回目の活動で初めて合宿に来ましたが、初めて見た時から教えられない特別な才能を秘めていました。翌2012年のU14エリートプログラムには中学2年生になった2人が継続的に参加し、4月の北京でのAFCフェスティバルと9月の韓国遠征にも参加しています。後者では、その時点の最強メンバーで挑んで韓国に力負けしましたけど、将来性の高さを強く感じたのは、やはり律とトミでした」


【日本代表としてアジアカップを戦う冨安健洋(右)。ジュニア年代(三筑キッカーズ)から圧倒的な存在感を放っていた】

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