24歳のGM、林舞輝。生まれたときから「ボールを蹴っていた」

2019年02月22日

インタビュー

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【林舞輝氏が就任した奈良クラブ(JFL)。】

「いかに頑張らないで勝つか」
 
――林さんは小学生の頃はどんな選手だったのでしょうか。
 
 うーん、背丈はあるんですが細くてヒョロっとしてて走らない選手みたいな。
 
――モウリーニョが一番嫌いなタイプじゃないですか。
 
 おっしゃる通りです。まったく走らないし、頑張らない。自分でもダメな選手だなと思います(笑)。
 
――まだ、小学生の頃はなぜ走るべきなのかはわからなかったでしょうか。
 
 いえ、分かってしましたが、ボールを走らせれば自分はそんな走る必要なんてないと思ってました。サッカーを見るのが、特にヨハン・クライフを見るのが大好きな母から「上手い選手はどういうものか」を教えられていたので。
 
――知識としてするべきとわかっていても、汚れ役が嫌というのは、若気の至りのようなものでしょうか。
 
 そういうのではないです、僕は本質的にはサボりたい人なので、当時は「いかに頑張らないで勝つか」を考えていました(笑)。
 
――走らないためにポジショニングを意識する、というようなことはしていましたか。
 
 人のポジショニングは意識していました。あいつがここにいたら、俺は走らなくてすむ、みたいな。だから本職ではなかったもののセンターバックはちょっとやっていたんですけど、オフサイドトラップとか大好きで、小学4年生から相手をオフサイドトラップにかけていましたね。対戦相手次第では、3バックの真ん中をやらせてもらえたので、相手が蹴りそうになったら「上げろ」と言ってオフサイドにしていました。
 
――小学生にして既に知的な感じですね。組み立てとかも丁寧に行ってそうなイメージです。
 
 実際そうでした。オフサイドトラップで取ったフリーキックで他の選手は長いボールを蹴っていたんですけど、僕はキーパーに返していましたね。「サッカーは蹴るスポーツじゃない」と母親から仕込まれて。だから「ボールを動かせ。ボールは疲れない」って周りに言っていました。
 
 母の影響抜きにしても僕自身もあの年代にしてはかなりサッカー見ていましたし、オタクだったと思います。でもぶつかるのは怖いし、ヘディングなんて一番嫌でしたね。そういう意味ではセンターバックは向いていませんでした。
 
――モウリーニョの授業を受けた人とは思えない発言ですね。ただ、そのような環境は、サッカーの英才教育ですね。
 
 家には「夜ご飯の時はテレビを見てはいけない、ただしサッカーはOK」っていう謎のルールがありましたからね。
 
――ご両親には、少なからずサッカーにはまってほしいっていう思いがあったんでしょうか。
 
 そうは思ってないんじゃないですかね。母親からサッカーをやれとは一回も言われたことはないです。両親も自分たちが見たいからっていう理由でそんなルールを作ったんだと思います。
 

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