得点力を追い求めた本田圭佑選手の変貌

2012年09月07日

サッカーエンタメ最前線

日本代表エースとして君臨している本田圭佑選手。名古屋グランパス所属時代の本田選手の印象は「そんなに目立ってすごいという印象はなかった」と多くの選手が口を揃えて言っている。その本田選手が日本代表エースまでにのぼり詰めた経緯を『フットボールサミット第8回』(カンゼン刊)では、さまざまな視点より掲載。
サッカーエンタメ最前線では、2週にわたって紹介している。最終回となる今回は、オランダ時代の本田選手の番記者をしていたライターの若水大樹氏のコラムを一部掲載する。

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代表を牽引する本田。ブラジルW杯でさらに輝くために

8月22日発売の『フットボールサミット第8回』(カンゼン刊)

8月22日発売の『フットボールサミット第8回』(カンゼン刊)

(前略)
オランダやロシアで実証した活躍とは比例せず、当時の日本代表での本田の地位は皆無に等しかった。彼が望む攻撃的なポジションではプレーをさせてもらえず、攻撃力を生かすために犠牲にした守備をやらないと批判された。

09年9月、南アW杯前のオランダ代表との親善試合後には対戦相手のファン・マルバイク監督が「あれは本田のベストポジションではない。もっと攻撃的なポジションの方が彼の能力は生きるだろう」と擁護し、ファン・ダイク監督も「本田の能力を最大限に生かすのはフェンロの方法だ」と断言した。

オランダ人監督達が意図していたこととは違ったが、最終的に南アW杯は0トップ本田の大会となった。不慣れなポジションにもかかわらず、本田が活躍できたのはオランダ時代にFWが怪我でいなくなったときに0トップを経験したことがあったからだ。
「俺はストライカーじゃない。だから俺は俺なりの方法でやるだけ」

運にも恵まれたが、経験と言う土台があったからこそ生まれた結果だ。

W杯後、ザッケローニが監督に就任すると、本田は代表の攻撃を全任された。元々ザッケローニ監督も攻撃的サッカーを好む監督だ。ファン・ダイク監督やファン・マルバイク監督達と同様に本田を生かすためにはどのように扱ったらいいか熟知しているのだろう。
「代表では俺中心でやれるぐらいに思っている」と本田が言っていたように、ザッケローニジャパンの中心は本田だ。水を得た魚のように自由を得た本田は翌年のアジア杯ではMVPに輝き、ブラジルW杯に向けての最終予選でも代表を牽引している。

北京五輪で得点力不足に気付いてから結果だけを追い求めた4年間。キープ力、パスセンス、そして得点力を兼ね備えたオールラウンダーな選手へと成長し、攻撃の中心選手として欠かせない存在となった。海外組が増え、相対的なレベルアップが期待される日本代表を本田が牽引するためには、今夏、もしくは今冬、ヨーロッパのトップクラブへ移籍することが望ましい。W杯まで残り1年間。より厳しい環境に身を置き、経験を積むことができれば、ブラジルW杯でも必ず輝けるはずだ。

※『フットボールサミット第8回』P94-106より一部抜粋(文●若水大樹)
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ブラジルW杯まで残り1年。本田圭佑選手のさらなる進化を私たちサポーターに見せてくれるはずだ。9月11日(火)に埼玉スタジアム2002で行われるW杯アジア最終予選の前に『フットボールサミット第8回』(カンゼン刊)を一読してみてはいかがだろうか。

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