清武弘嗣選手が経験した苦い全少での思い出と父の熱き教え【後編】

2013年07月11日

サッカーエンタメ最前線

いくつもの試練を乗り越え、日本を代表する選手へ

トリニータU-18に昇格してからは、井上や小手川、ガンバ大阪ジュニアユースからやってきた石田良輔(町田ゼルビア)ら能力の高い同級生から刺激を受けられるようになった。1学年下の弟・功暉や東慶悟(FC東京)も加わり、一段と切磋琢磨できる環境が整った。

「キヨはすごい努力家」と井上が太鼓判を押すように、サッカーができる喜びに再び目覚めた彼は、明治北SSCのときのようにコツコツと練習を積み重ねた。高校1年生ではU-16代表入りしてモンタギュー遠征に参加し、牧内辰也監督(ファジアーノ岡山コーチ)率いるユース代表入りが確実視されるなど、順調な歩みを続けていた。

ところが高校3年生のときに清武は左足第5中足骨を骨折。長期離脱を余儀なくされる。悪いことに、清武の場合は最初の手術が失敗し、再手術する羽目に陥ってしまった。

息子がサッカー人生の危機に瀕している中、父・由光さんはドクターに対し、「治療の経過を毎日、きちんと連絡してもらいたい」と強く要請した。

回復を強く願う父の強い思いが天に通じたのか、清武は二度目の手術に成功。再びサッカーができる状態に戻った。高校卒業時点では完治していなかったが、大分側はリスク覚悟でトップに上げる決断をしてくれた。そのことに清武本人も父・由光さんも深く感謝している。彼が「ずっとトリニータにいたい」と言いつづけたのも、恩に報いたいという気持ちが強かったためだろう。

しかし、2010年に大分が財政難に見舞われたことで、清武はセレッソ大阪へ移籍することになる。初めて地元を離れた息子に対し「私自身もどうなるのか本当に心配していました」と父は本音を打ち明けた。

けれども、中学3年生以来の大きな環境の変化は、清武の劇的な成長につながる。香川真司や家長昭博(マジョルカ)、乾貴士(フランクフルト)らハイレベルな選手たちから多くのことを学び、レヴィー・クルピ監督に潜在能力の高さを認められた清武は2011年にブレイク。関塚隆監督率いるロンドン五輪代表の中核選手となり、今ではザックジャパン定着も果たした。

由光さんは目覚ましい成長を遂げる息子のことを考えない日はない。Jリーグも代表戦も欠かさずチェックし、ほぼ全試合、録画保存までしているのも、「何かの役に立ちたい」と熱い思いを抱きつづけているからだ。

2012年には末っ子の功暉もサガン鳥栖の強化指定選手(2013シーズンから正式に加入)になり、試合に出ているため、父親の週末は大忙しである。

「将来、弘嗣たちの子どもに『お前のお父さんはこういう選手なんだよ』ってわかるように録画してるんです」と照れ笑いを浮かべる父。

ただ、その録画を単なる親目線で見ているのではない。子どもたちの特徴を知り尽くしているからこそ、プレーも厳しくチェックするのだ。

「昔から一緒にビデオを見てアドバイスを受けていましたが、今でもこの試合の何分のプレーがどうこうって細かくメールが来ます。『昔できていたことが、今はできてねえだろ』とか怒られたり……。だけど、お父さんは誰よりも自分のことをわかっている人。昔よりすごく丸くなったし、言われたことを素直に受け入れられます。本当にありがたいですね」

清武は父の支えを心強く思っている。

由光さんがそこまで情熱を燃やすのは、自身がサッカーに心底惚れこんでいるからだ。

「私は現役時代、ストライカーだったんです。みんなが一生懸命工夫してつないでくれたボールがゴールに吸いこまれていく瞬間って、ものすごい感動があるんですよ。全員の気持ちが結集された瞬間ですからね」

強い思い入れを抱く世界で、愛する息子たちが成功に向かって突き進んでいるのは、親にとっては最高の喜びではないか。「息子もみんな20歳を超えたし、あとは自分たちの人生だ」と割りきってはいるものの、できる限りの叱咤激励は続けていくつもりだ。

「世界にはお前よりうまいヤツはいっぱいいる。もっともっと上を目指せ」と父に鼓舞されるたび、闘争心が激しく燃え上がるという清武弘嗣。彼はこの先も、父の教えを胸に刻みながら、サッカー界の頂点を目指しつづけていく。

 


 

清武弘嗣 プロフィール
1989年11月12日、大分県大分市生まれ。MF。明治北SSC時代から高いテクニックと変幻自在のドリブルを武器に、将来を嘱望されるほど地元では有名な選手だった。99年の第24回、2001年の第26回全日本少年サッカー大会に、大分県代表として出場。第26回大会ではチーム最多の5得点をマークして、第3位に導く。中学3年生のときに当時、吉武博文氏がアドバイザーを務める大分トリニータU-15へ。2008年にトップチームへ昇格すると、2年目からレギュラーに定着した。2010年にセレッソ大阪へ加入。シーズン途中にドルトムントへ移籍した香川真司の穴を見事に埋め、乾貴士(フランクフルト)、家長昭博(蔚山現代)とともにチームを牽引した。2012年夏にニュルンベルクへ移籍。成長著しい若きサイドアタッカーだ。172㎝・66㎏

[プロサッカー選手になるまでの軌跡]
[小学1年生~6年生]明治北SSC
[中学1年生~2年生]カティオーラFC
[中学3年生]大分トリニータU‐15
[高校1年生~3年生]大分トリニータU‐18
[現在]セレッソ大阪→ニュルンベルク

 


 


僕らがサッカーボーイズだった頃
プロサッカー選手のジュニア時代

香川真司、岡崎慎司、清武弘嗣……
『プロ』になれた選手には、少年時代に共通点があった!
本人と、その家族・指導者・友人に聞いたサッカー人生の“原点”

【著者】元川悦子
【発行】株式会社カンゼン

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