「夢に向かうシンプルな生き方」を追求し続ける本田圭佑選手が歩んできた半生とは?

2014年06月07日

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新天地での、一からのスタート

 人生最大の挫折に直面したが、サッカー人生が終わるわけではない。本田はすぐに気持ちを切り替え、次の進路を模索した。祖父と祖母からは「近場の高校でええやないか」と励まされたが、彼自身は未知なる環境で再出発することを強く望んだ。

 「プロになるためにどうすべきかを考えたとき、つなぐサッカーをしていて、1年から試合に出られる環境へ行くのがいいと。兄貴からは『帝京はお前のスタイルに合わない』とアドバイスされたし、名門すぎる高校はガンバユースに上がれなかった自分には確かに厳しいかもしれないと感じた。地方のほうがいいんじゃないかと考えましたね。最終的には誰もいないところへ行くという結論に辿り着いた。誰も自分を知らない場所で一からアピールして、存在を認識させたかった」

 15歳で家族の元を離れ、自身を追い込むことでプロの夢をつかもうとしていた兄の姿から勇気をもらった部分も少なからずあったはずだ。弘幸さんは帝京卒業後、アルゼンチンへ渡って2部リーグでプレー。帰国して大分トリニータと契約を勝ち取った途端、ひざの靭帯を痛めてキャリアを断念せざるを得なくなる悲運に見舞われた。

それでも単身で海外へ渡ってまで貪欲に夢を追いかけた。その堂々とした生きざまを弟もリスペクトを持って受け止めたから、同じような道を選ぼうとしたのだろう。

 「いつまでも親に依存していたらダメ。親というのは最終手段で、都合のいい存在。何でも許される人だと思います。日常からそこに頼っていたら人としても選手としても成長できない。いつまでも親父の言うことばっかり聞いていたら、親父を見返すことはできへん。おじいちゃんやおばあちゃんも見返すことはできへん。一度、外へ出る以上、プロになれなかったら家に帰れるはずがないと俺は思った。ホントに生半可な気持ちではなかったです」と彼は語気を強めた。

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