「指導者を誰もがあこがれる職業に」 中国でサッカースクールを経営する日本人の夢

2016年02月05日

コラム

選手を志し渡った大陸で指導者に転身

 野口は三菱養和スクールや読売クラブのジュニアでサッカーの魅力にとりつかれ、高校卒業後もサッカーを続けて行くにはどうしたらいいかを考えたという。まずはスペインにサッカー留学をする計画を立てたが、これは諸般の事情で頓挫した。そこで隣の大国である中国には必ずチャンスがあるはずだと思い、上海の大学への留学を決めた。SJFで千葉と知り合い、ともに3部チームのセレクションを受け、同じように無給のプロ契約を結んだ。野口も駐在員の子どもたちと、昔セルジオやラモスがやってくれたように、子どもをからかいながらサッカーで遊んでいるうちに、親からサッカーを子どもたちに教えて欲しいと頼まれることになる。1999年のことであった。

 千葉も野口もそれぞれ別々に子どもを教えていたが、どんどん子どもたちが増えていく一方で、プロ契約したチームが昇格できず、そこでのプレーに将来性が見えなくなっていたことから、本格的にスクールに取り組んでいくことになる。SJFでともにプレーしていたもう何人かの留学生と今のTotal Football Asia(TFA)の前身を立ち上げたのが2002年であった。

 当初は、練習後に親に招待され家庭料理をご馳走になったり、お風呂に入れてもらったりして満足していたのが、子どもがどんどん増え、親からは定期的に教えに来てくれなければ困ると言われるようになる。無収入の学生であり、教えに行く交通費も無いと説明すると、親が自主的に会費を集めてくれるようになった。会費も親たちが相談して130元/回と決めてくれた。(円高の当時で1500円、円安の現在では2500円。日本の一般的なサッカースクールより高いが、上海の相場では相対的に安いレベルにある)

 折からの日本人子弟の激増、さらには他に安心して子どもを通わせることができるレベルのスポーツスクールが無かったこと、そして、なによりも千葉と野口の指導の質の高さと情熱が相まって、サッカースクールは日本人の子どもを中心に数年で500~600人規模にまで発展した。毎週1回としても単純計算で当時の日本円換算5000万円相当の年間売り上げを達成したことになる。

 2009年に千葉は中国の子ども向けのスクールを立ち上げるべくTFAを離れ、2010年に弟の康博とともにSporvaを設立した。中国のスポーツ環境を変え、新しいスポーツのあり方を創造するというミッションを掲げて、2014年には中国人の子どもを中心に千人の大台を達成、その後も自社専用のフットサルコートを保有、バスケットスクールの開設等発展を続けている。

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