かつて“怪物”と呼ばれた少年。耳を傾けたい先人の言葉

2016年10月12日

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「サッカー馬鹿になるな」厳格だった両親の言葉

 テレビ放映された全国大会の決勝の翌日、毛利少年は地元の陸上大会に出場することが決まっていた。陸上でも水泳でも何をやっても一番だった。陸上大会の会場に行くと周りが「毛利って、あいつだよな」と注目されるのがわかった。その後栃木県で試合をするときは、毛利少年には決まって相手のマークが二人、三人とついた。そして試合グラウンドの周りには子どもたちが人だかりを作った。毛利少年を一目見たさ、である。

 普通の子どもならば天狗になってしまうところだが、毛利少年にはそうならない理由があった。

「下都賀ジュリアンズのコーチが、所属していた小学校のコーチを兼任していたので特別扱いはされなかったんです。それと両親が厳格でした。今の時代は許されないですが、当時は鉄拳制裁が当たり前。『サッカーをやる前にやることがあるよね?』という感じでした」

 両親は全国大会優勝を喜んでくれたが、それはそれ。「サッカー馬鹿になるな」が口癖で、勉強を疎かにさせてもらえなかった。毛利少年は勉学が優秀だった。そして負けず嫌いだった。

「中学でも、高校でもそうでした。勉強もするし、サッカーでボールを奪われたら反則をしてでも奪い返すような。お山の大将で、何でも一番じゃないと気が済まなかった。そしてやればライバルに勝つことができたんです」

 実は、毛利少年には中学進学のときにサッカー進学の話があった。神奈川のある名門校から、ぜひ来てほしい、と地元の栃木まで学校関係者が挨拶にきた。その学校はサッカーと勉強をハイレベルに両立させることを校訓にしていた。両親からは了承が出ていた。だが、毛利少年は決断できなかった。小学校を卒業するのと同時に親元を離れる想像ができなかったからだ。

 毛利少年は、その後も地元栃木でトップ選手であり続けた。中学でも県の選抜チームに選ばれて活躍した。俺にボールを集めろ、ゴールを決めてやる――。「怪物」は地元栃木の怪物であり続けた。

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【第15回全日本サッカー大会、頭一つ身長が抜けているのが毛利少年】

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