ルカ・モドリッチ。クロアチアが生んだ天才MFのルーツ

2018年10月12日

サッカーエンタメ最前線

「僕は小さいから、成長しなくちゃいけないんだ」

 この新たなる日々は、将来有望な少年たち全員を逞しくさせた。ドマゴイ・バシッチは才能にあふれたグループに、ぴったりとはまったのである。ルカ・モドリッチはトミスラフの息子について「僕が指導を受けてきた中で最高の監督だ。本当に僕を愛してくれた」と、ためらうことなく語っている。父親から助言も受けていたのだろうが、ドマゴイは未加工のダイヤモンドをルカの中に見ていた。そして、そのダイヤモンドは磨いていくこと、発育させていくことが必要だった。

 何となれば、サイズというものはすでに強迫観念に変わっていたのだった。ルカはあのNKザダールの忘れがたいタレント集団の中で一人だけ、極端に小さかったのである。「ほかより15センチくらい低かった」と振り返るのは、ロヴレ・ヴリン。プロとなり、代表歴もありながら、度重なる負傷のために長いキャリアを送ることのできなかった左サイドバックである。

 成長することは執着だった。モドリッチがそれに関していつも思い出すのは、ヴィシュニクでの練習後、バシッチに勧められて逆立ちに結構な時間を費やしていたことだ。通行人や、少年たちの保護者にその行動の理由を問われる彼は、いつもこう答えていた。

 「僕は小さいから、成長しなくちゃいけないんだ」

 ルカがフットボール的に成長していくことにおいて、ザダールという箱は徐々に不十分なものとなり、箱尺を広げる必要が生じ始めていた。ダルマチアでは年に2回、有望な少年たちを対象としたフットボールキャンパスが開かれたが、参加料は約250ユーロと、質素なホテルで暮らし続ける家族にとっては負担になるものだった。若きモドリッチは3回にわたってそのキャンパスに参加したものの、家族は参加料を支払えないときには叔父のジェリコを頼っている。

「父はフットボールに関して、僕を助ける方法をいつも見つけてくれた」。ルカは世界的スターとなっていった道程に思いを馳せながら、誇らしげに思い出す。あの1990年代、紛争とその直後の時期が、ルカ・モドリッチの性格をつくり上げたのは間違いない。謙虚で、家族思いで(彼は距離が離れていても、両親と毎日のように話していることを認める)、内気ながら、言葉通り爆弾にも動じない自尊心を有しているのが彼という人間だ。ヴリンは年齢の上ではまだ幼かったルカについて、こう述懐する。「彼はとても大人びていたし、そういった面ではほかの誰よりも一歩進んでいた」。

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