トップがダメだとクラブは崩壊する。奈良クラブのGMが胸に秘めるサッカーへの想い

2019年03月01日

インタビュー

ジョゼ・モウリーニョが責任者・講師を務めるリスボン大学とポルトガルサッカー協会主催の指導者養成コース「HIGH PERFORMANCE FOOTBALL COACHING」で日本人初の受講生となり、ポルトガル1部リーグに所属するボアビスタのBチーム(U-22)のアシスタントコーチを務めた経歴を持つ林舞輝氏は、23歳にして奈良クラブ(JFL)のゼネラルマネージャー(GM)に就任。サッカーの出会いからジュニア時代を聞いた前回に引き続き、今回は、若くして指導者を始めたきっかけなどについて、林氏に聞いた。

取材・文・写真●内藤秀明


【前編】24歳のGM、林舞輝。生まれたときから「ボールを蹴っていた」


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【林舞輝氏がゼネラルマネージャーに就任した奈良クラブ(JFL)。】

高2の終わりからコーチを始めた
 
――林さんは、学校の成績は良かったんですか?

 勉強は割と昔から得意な方ではあったと思います。

――高校は進学校に進んだと聞きました。進学校に進んだ理由はなんですか?

 一度、勉強ができる人たちの中に入ってみたいっていうのがありましたね。実際にみんな凄く優秀で、そういう中にいられたのは本当に刺激的でした。

 あと学校の行事を本当に一生懸命やるのも行きたいポイントでしたね。文化祭とか合唱祭とかそういうお祭りごとを死ぬ気でやるんですよ。

――そんな高校だったんですね。部活はどうでした?

 サッカー部は大変でした。

――まあ一般的な進学校のサッカー部といったイメージでしょうか。

 顧問は上から目線で指示してばかり。それでいてまともな練習が一つもないんです。挙句の果てに監督は試合中に牛丼食っている。それで「こんなんやってられない」となっていました。母も保護者会で学校に来て、その帰りに練習を見て「これは酷い。個人練習していた方が上手くなるよ」って言っていたくらいですね……。

――それは厳しいですね……。

 言っていることもめちゃくちゃ、練習内容も理にかなってない、それで古いタイプの人だから、試合の次の日に30分間走とか全力でするんですよ。サッカーを何もわかってないなって思いました。選手も勉強はできるもののサッカーのことはあまり知らないから、理にかなってない練習でも真面目にやるんですよ、誰も異議を唱えないですし。​​なのでしばらくして退部しました。

――その後はどこかでプレーしたんですか。

 部活を辞めるタイミングで、小学生のときにやっていたチームの総監督から「コーチをやってくれ」と言ってもらえました。だから高2の終わりくらいから、コーチを始めましたね。

――選手を辞めることへの躊躇はなかったんですか。

 まったくありませんでした。だからと言って、コーチになりたいと思っていたわけでもありませんが。

――そもそも選手として上に行こうという意識は?

 全然なかったですね。サッカーは面白いんですけど、才能がないので。足は遅いし、華奢だったんですよ。身体能力は全然なかったんですけど、それでもサッカーはできるって、母からよく聞かされていました。「足が速くなくても、運動神経が悪くてもサッカーは上手くなれる。それがサッカーのいいとこだ」って。野球とかだったら無理じゃないですか。だからサッカー自体は楽しかったんですけど、とはいえ限界があって、上にいきたいとも思っていませんでした。

――だから、あっさり辞められたんですね。いい意味で。

 あっさり辞めたっていうよりも、辞めたという感覚すらありませんでした。

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