「フットボールについては隅から隅まで知っているよ」。すべてが破格だった『ヨハン・クライフ』という生き方

2016年06月09日

サッカーエンタメ最前線

「私は戦後まもなく生まれたが、何でもそのまま受け入れるなと教えられた」

 ミケルス自身は当初「トータルフットボール」とは言っていなかった。メディアによって広く知られるようになった言葉だが、アヤックスとオランダ、そしてクライフの代名詞になっていく。

 ミケルス監督がアヤックスに導入したのは「ボール狩り」と呼ばれた、後の言葉でいえば「プレッシング」である。トータルフットボールの特徴は、守備におけるボール狩りと攻撃時の流動性だった。「ミケルスのトレーニングは、ミニゲームばっかりだった」

 ミケルスが1FCケルンの監督だったころ、不満を漏らす選手もいた。筆者も1992年のユーロのときにオランダ代表の練習を見学に行ったが、やはりミニゲームをやっていた。後にクライフが監督になったときも、トレーニングはもっぱら“ロンド”とミニゲームである。そんなことで、革命的といわれたトータルフットボールがよく創出できたものだと思うかもしれないが実際そうなのだ。

 トータルフットボールとは、特殊なフォーメーションや組織ではなく、個々の技術と判断力をコンセプトで包んだものといえるかもしれない。つまり、ボールコントロールやポジショニングについての個人技術と戦術を高め、選手1人1人が独立したフットボーラーになること、そして独立したフットボーラーの集団を束ねるコンセプトとして、従来のポジションや役割に縛られない攻守を指向した。簡単にいえば、アヤックスの選手たちはほぼ全員がMFとしてプレーできた。MFは攻守ともにこなすポジションなのでオールマイティな資質が求められるが、アヤックスのDFもFWもそれができた。だからDFはどんどん攻撃に出たし、MFやFWにその穴埋めが可能だった。結果的に従来には見られないポジション流動性が生まれたと考えられる。

 70年代という時代性も関係があったと思う。「私は戦後まもなく生まれたが、何でもそのまま受け入れるなと教えられた」(クライフ)

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